信仰のステートメント
私たちは、全能の神が創造主であり、宇宙とすべてのものを御手によって創造されたことを信じます。この神は父、子、聖霊の三位一体であり、それぞれ独立した存在でありながら、一つの神です(創世記1:1、マタイ28:19、2コリント13:14)。
私たちは、義人は誰もおらず、私たちは皆神の前で罪人であり、その罪によって神との関係が絶たれていたことを認識しています(ローマ3:10、ローマ3:23)。自分の行いや努力によって正しくなろうとしても、誰もそれを成し遂げることはできません(エフェソ2:8-9)。
私たちは、イエス・キリストへの信仰のみによる救いを信じます。イエスは処女マリアから肉体をもって生まれ、私たちの罪を背負い、十字架で死なれ、三日目に復活されました(マタイ1:18-25、1コリント15:3-4)。イエスの十字架における犠牲は、神の深い慈愛の現れであり、私たちとの個人的な関係を回復するためでした(ヨハネ3:16、2コリント5:18-19)。これによって私たちは、罪の奴隷であった古き性質から、キリストにある義の性質を受け継いだ新しい創造物とされました(2コリント5:17、ローマ12:2)。また、イエスを通してでなければ誰も父のもとに行くことはできません(ヨハネ14:6)。
私たちは、既に新しい被造物としてキリストの似姿にされており、聖霊が私たちに神の御心を行う力を与え、肉においてキリストの似姿に向かって成長させてくれることを信じます。具体的には、聖霊は私たちに愛、喜び、平和、忍耐、親切、善良、誠実、柔和、節制という御霊の実を実らせます(ガラテヤ5:22-23)。また、聖霊の賜物を通じて神の働きを成し遂げる力を与えます(使徒1:8、1コリント12:4-11)。これにより、謙遜、従順、赦しの心を持ち、隣人を愛し、神の御心に従うことを実践する者となります(フィリピ2:5-8、コロサイ3:12-14)。
以前は自分の肉の願望や意志、計画に従い人生を生きていましたが、今は神の子とされ、全てを捧げてくださった神に対して自分の命を捧げ、神の願望と意志、計画のために生きる者とされました。私たちの地上での人生の目的は、神のために生きることであり、イエスが命じられた大宣教命令を果たすことです。イエスは、福音がすべての被造物に宣べ伝えられるときに再臨し、その時にすべての人々は神の裁きを受けて天国または地獄に裁かれます(マタイ28:18-20、マタイ24:14、黙示録20:11-15)。
聖書は神の霊感を受けたものであり、絶対的な真理であると信じます。神の言葉は不変です(2テモテ3:16、ヘブル13:8)。神は今日も聖霊を通して私たちに語りかけ、その聖霊の言葉は不変の神の言葉である聖書によって吟味されます(ヨハネ16:13、1ヨハネ4:1)。
教会は神によって設計され、任命された指導者によって導かれ、信者の健全な信仰、敬虔な生活、霊的成熟を築き導くために存在します。私たちは、神が各個人に与えた自由意志を尊重し、すべての状況において自分の決断をすることを奨励します。しかしながら、私たちは神と霊的権威に対するコミットメントと敬意の重要性も教え、メンバーが神に与えられた権威に喜んで従うことで、謙虚で忠実な神の僕として成長することを奨励します(申命記30:19、ヨシュア記24:15、ヘブル13:17)。
神の家族として、私たちはメンバーの肉体的、精神的、霊的な健康を、神の愛を示すことを通じて支援します。具体的には、祈り、慰め、励まし、そして愛に満ちた真理をもって導くことで、敵の嘘や妥協、神に反する価値観を克服するように助けます(1テサロニケ5:14、エフェソ4:15、ローマ12:10)。